艶宮のpage

ただ1つ目をインターネット上にあげたかっただけです。

強迫的モーニングルーティンをやめた

1つ目の記事でとても満足したのですが、これを思い出すと筆を取りたくなりましたので書きます。

 

昔から私は、自分だけのジングスを作る人間でした。だから、大学のときも「朝の支度は順番通りにする」というルールを課せていました。

朝の支度はブラッシングやヘアアイロン、朝食、歯磨き、着替えなどで特別な行為は何もありません。ただそれらの順番が決まっていました。もし中断されたり順序が変わったりしたときは、ベッドで起きるところからやり直します。やり直さなければ必ず非常に悪いことが起きると思い込んでいました。(生活時間が左右されるのでこのルールは嫌でしたが多大な苦痛というわけでもなく、これ以上悪化しなかったので病的に感じず受診には至りませんでした)

 

この強迫的なルールを守っていたことを思い出したとき、「え?そんなことしてたんだ、てか何でも良いじゃーん」と呟きそうでした。それほどに私のルールは緩くなったようです。

そう感じて、私らしさが失われたのかなと少し考えました。もちろん今では狭義であるほど私らしさの価値が高まるわけではないとわかっています。性格や趣味、言動が尖っていればいるほど目立つ部分はあります。けれども私は誰かより目立つ必要なんてないなと思うことができました。

そういうことに「どうでも良いじゃ〜ん」とゆるゆるぅとした考え方を持ち始めたのは高校生から大学生くらいからです。このおかげで私は誰かより上に位置したり並列していなくても良い、私らしくいれば案外周囲の人たちに認めてもらえる、というマインドができました。

 

私は、優秀なほうにいたいからという理由で偏差値が私より少し下の高校を目指しました。あまり努力せずに入学できて、成績上位者クラスにずっと所属できていました。

しかし、私はずっと頭が良い方ではいられませんでした。偏差値は高くない高校なのに、思っていたよりも医学部や薬学部を目指す子たちが居たからです。

模試では簡単に校内順位がわかるので、この偏差値の高校で私より上がこんなにたくさんいるの!?と当時は驚いていました。大学でも似たような経験があり、この偏差値帯の大学なのにあんな有名な高校から来たの!?とか、あの大学A判定だったのにこっち来たの!?とか、私のGPA(成績を数字にしたもの)の順位全然じゃん!など色々です。

そのためできるだけ成績は上の方に居たいという気持ちは簡単に崩れ「ま、良いか〜」と思える心の形に変わっていきました。良い成績をとるための努力をやめたとは違います。誰かより上でいるために良い成績をとることをやめたということを説明できていれば幸いです。

 

最近ではうつを患ったからという理由もあります。うつになったときの私は、趣味を追えず家事は何もできず、眠れず、生活が上手くできません。そのせいで仕事を長期間休んだので、早く良くならなきゃという気持ちが生まれ体調がさらに悪くなる時期もありました。しかし、「休職中だから焦らないで、ゆっくり治してね待ってるから」とたくさんの人たちから言っていただきました。

焦らないことが難しいのですが、なんとか今は家事ができなくてもお風呂に入れなくても許容して「いっか〜」系マインドになれています。自分を責めない日がないわけではないけど、私らしさという盾に守ってもらっています。本当に近しい人や職場の方々のおかげだと思います。

 

そんなこんなの人生を歩んでいたら、朝の強迫的なルーティンをこなさなくて良い日が増えました。今日ではもう何のルーティンにも従っていません。ルールを守らなきゃ死ぬかもという気持ちにもならないし、ルールに従うことが辛くて泣くこともありません。

 

朝の準備をこの順番でこなすことができなければやり直しということもしなくて良くなりました。朝起きてから歯磨きをする私でも、まず顔を洗うことから始める私でも、朝ご飯を食べることが最初の私でも、何でも良くなったわけです。

いろんな私を許せる。私がどんなに変化しても、私らしさに内包されると知った過去でした。

 

そして誰も死ななかった。

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」


もう私は死のうとしないと決めています。

希死念慮への対策がわかった今、未遂の内の1つについて思い出したことがあるので書き留めます。これを想起しながら、暗くて質の良い青春だったと感じました。


それは高校1年生か2年生くらいのキャッキャ期で、私たちは抑うつ状態でした。学校はあまり休めません。試験や模試の成績にも響くしすごく怒られるから、電車で泣きながら学校へ行きます。

 

始まりは私がとある人を好きになったことからです。元々不安や希死念慮がありました。その中で、ある悩みが暴発していつもの「まじ死にたいわ〜」が「ほんとにもう死んでしまいたい」に変わりました。これを言う場はTwitter以外に彼女の前でだけです。

そして彼女もちょうど本当の死にたいを抱いていました。2人で帰っている途中、彼女が「私も。本当に死のうよ」と言ってくれました。私は喜んで「じゃあ明後日の放課後に一緒死のうよ!私とが嫌だったら無理しなくても良いよ」と言いました。彼女は受け入れてくれました。

 

約束の日が来ました。平日なのでクラスメイトの彼女と私は授業を受けています。2限だか3限だかが体育だったのを覚えています。いつもと変わらないはずが、ウォームアップの体育館内5周がとても楽しくて2人ではしゃいでいました。今日で死ねる!今日でさよならできる!人生最後のランニングって楽しい!死ねるんだ!と感激していたからです。

 

体育が終わったら次は英語です。

体操着から制服へ着替えながら私は段々と虚無に変わっていきました。着替え終わった頃には制服を着た希死念慮そのものに変態していました。私は彼女に「放課後に死ぬって約束したけど、今から死にたい」と相談しました。彼女は少し考えてから「そっか、良いよ行こう」と言ってくれました。

 

そして高校生活で、初めて校内にいながら授業をサボりました。机につき始めるクラスメイトたちをおいて、約束していた場所である別棟の視聴覚室裏のベランダを目指しました。視聴覚室は別棟の最上階にあります。だからそこで飛び降りようと話し合っていました。


見つかるのを避けるために教員がいる教室をよけながら死に場所へ向かっていました。別棟に着くと、少し離れてはいますがクラスメイトたちが自教室からぞろぞろと出て来るのが見えました。後々気付いたのですが、この日の英語はALTの先生が動画を見せながら授業をすることになったようでした。みんなは視聴覚室にぞろぞろと向かって行き、私たちはその波に気づかれないようにベランダへ隠れました。

ベランダから視聴覚室の内をみると、窓は閉められていて黒いカーテンしか見えませんでした。クラスメイトたちからは私たちの存在に気づかれないで済みそうでした。

 

そして私は彼女になぜ死にたいと思ったのかを聞きました。もう死ぬから彼女から嫌われても良いと思ったし、気になったことを不躾に質問したくなったからです。彼女は「ずっと言ってなかったけどこの前彼氏と別れて、」と話し始めてくれました。とても辛そうでした。彼女は他にも色々な理由がある様子でそれを濁して教えてくれました。

そして彼女に死ぬ理由を聞かれました。私は長い時間をかけて「絶対に叶わない相手を好きになっちゃったから。その人、恋人できたんだって。それ聞いてやっと好きって気づいたから」と説明をしました。

 

そんな話を互いにしながらも、私の胸中では希死が暴れまわっていました。じゃあ飛び降りようと私が言おうとした頃、彼女が少し前から黙っていたことに気づきました。彼女の様子が少し変わったことに気づいてしまいました。私は無理矢理は嫌だったので「無理しないで良いよ、私と死ぬのやめたくなった?」と聞きました。彼女は「……今じゃなくても良いかもって思ってきた」と答えてくれました。

私はすんなりと「じゃあ今日はやめようか」と言えました。先ほどまで暴れていた希死も少し大人しくなっていました。

 

私たちはまだベランダにいました。たわいもない話をしながら、私はとりあえず今日はやめておいて1人で死のうかなと考えていました。2人とも気持ちは暗いです。視聴覚室からハピネスな音楽と英語をペラペラと話す声が聞こえます。大まかにしか聞こえませんがとにかく楽しそうな雰囲気で、それを理解するほどに私たちの気持ちは重くなっていきました。

 

死ぬと決めてから、私はやっと死ねるという幸せな気持ちを味わってしまいました。体育館での5周はそれほどに幸せでした。その気持ちを味わった代わりに必ず死ななければいけないと考えていました。そんなとき、この時間は終わりました。

 

隣の音楽室にやって来ていた教頭がこちらに気づいてしまったのです。第三者と出会ってしまいました。

 


その次の次の日、私は生きていました。平日なので学校に来ています。夕方か放課後かに階段を上がっていて、彼女もたまたま一緒にいました。後ろから「アデミヤ(私の名前)」と声が聞こえ振り向きました。担任の女性教員でした。「……だいじょうぶ?なんかあったらなんでも言いなさいよ」と言いにくそうに話してくれました。私はYes I amのように「え、何のことですか?いやわかりましたけど!了解ですあいざいまーす」と言いました。隣にいた彼女は担任の方すら振り向かず何も言葉を発しませんでした。

 

彼女は本当は死にたくなかったのかなと今更に思いました。私が死ぬのを止めるために直前まで一緒に死ぬことを約束してくれたのかと、そんな考えが生まれました。

 

あの日、体育館でのランニング中の彼女の笑顔は私に合わせたものだったのかもしれません。視聴覚室から聞こえた楽しげな音楽と私たちの空気のギャップも、私しか感じていなかったのかもしれません。私が1人で死ぬかを考えている間、彼女はどうやってこの場から私を遠ざけるか考えていたのかもしれません。


きっと私はあの日、彼女に優しさを強いました。誰も死に至りませんでした。そんな日でした。